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コラム2月号『判断の物差しの形成には何が大切か』

「本人の自主性に任せる」
「本人に判断させる」
 こうした言葉はカッコいいですね。しかしこういう耳触りのいい言葉ほど要注意です。
 自主性に任せるにしても判断させるにしてもそこには「判断の物差し」が確立されていることが前提となるわけで、それがまだ確立されていないうちに好きにさせるとどうなるかは火を見るより明らかです。なぜならその物差しが出来ていないうちは自己中心的な快不快が主な判断材料になるからです。
 たとえば「お友達とおもちゃを譲り合って遊んだ方が気持ち良く遊べる」「自分がしばらく遊んだら友達にも貸さないといけない」という考えがない子供は、本人の自主性に任せたらいつまでもおもちゃを占有し、飽きても友達に渡さずそこに放り投げて次の遊びへと向かうだけです。
 人格的に整っていかなくてはならない幼児期に「本人の自主性を大切に…」と一見聞こえのいい言葉で子供の人格を大切にしている風を装う人に私は懐疑的です。やはり「いけないことはいけない。いいことはいい」と判断の物差しを育てる必要があると思います。

 

 けれどもここで大切なことは、大人も言葉と矛盾しないよう気をつけることです(気を付けないと矛盾だらけ。ですから気を付けるくらいでちょうどいいのです。全く矛盾を無くすことは無理!!)。例えば「ゴミのポイ捨てはいけない」と言っていながら、人の家の玄関で靴に付いた泥砂を叩き落とす親。「人に優しくしなくてはいけない」と言いつつ、一番身近な配偶者に優しい言葉一つかけるどころか文句ばかり浴びせる親。良識的なことを言っている同じ口で矛盾していることをやっている大人の姿を子供はつぶらな瞳で見つめているのです。そして言葉より親の態度・行動から様々なことを吸収する子供達は、諭した言葉ではなく親の在り方を判断の軸としていくのです。ですから「人に優しく…」と子供に言うのなら、まず親が(子供にはもちろんのこと)身近な人達に優しい態度をとることが大切だと思います。
 そうして初めて子供は大人の言っている言葉の意味を理解出来るのです。『あ?、これが優しくするということなんだ…』というように。

 

 先日、井原忠郷先生(比治山大学教授・聖愛幼稚園理事長)のお話を伺う機会がありました。その際に出た話題を紹介します。

 

 ある園児が、重箱のような大きなお弁当箱でサンドウィッチを持ってきたそうです。その園児はサンドウィッチが大好物だったそうですが、幾ら好きでもそんなに多くの量では途中でお腹一杯になってしまいます。案の定、その子はヒイフウ言いながら50分かけてやっと食べ切ったそうです。
 それには後日談があるのです。井原先生がお母さんに「えらい大きなお弁当箱で持ってきましたなぁ!!」とお母さんにそれとなく訊いたら、そのお母さん、
「私がサンドウィッチ弁当を作ることを知った息子がね、こんなことを言ったのよ」
「やったぁ、サンドウィッチは僕の大好物だし(食べるのが)一番になれる」と。
 そこでそのお母さん、わざわざ一斤(600g)の食パンを買ってきて全て使ってサンドウィッチを作ったそうです。ハムや卵、野菜を挟むのですからその量たるや大人でも食べ切ることが出来ない位だったと思います。
「だからね。私はそんな安易なことで一番になるのを喜ぶような子にしたくなかったの。ズルをしてほくそ笑むような性格には絶対したくない!!だから簡単には食べ切れない量のサンドウィッチにしたのよ」と笑いながら伝えてくれたそうです。
 そしてそのお母さん、卒園間際の最後のお弁当は小さなお弁当箱に愛情たっぷりのサンドウィッチを詰めて持って行かせたのです。
 井原先生は「今でもそのお母さんのことは忘れられない」と仰っていました。

 

 またあるお母さんが「世界で誰が一番好き?」と子供に訊かれたそうです。もちろん子供が「A君が世界で一番好きだよ」と言われることを期待して訊いてきたことは百も承知です。しかし、その時お母さんは子供が期待するようなことは言いませんでした。
「お父さんのことが世界で一番好き。お父さんと出逢ったから神様がA君を私達の所に贈ってくださったのよ。だからA君は私達にとってとても大事な宝なの」
 井原先生のお話によれば、この息子さんも人格的に立派に育ち、現在は専門分野でご活躍されているそうです。

 

 子供にとって一番の安定は身近な人達の愛情に包まれた環境で過ごすことです。訳あってお母さん、お父さんのどちらかしかいない場合でもそうです。親が周囲の人の支えに感謝し、苦しい時期でも人を怨まないよう葛藤している親の姿を子供達は観ています。ボタンを掛け違え、すれ違ってしまうまでの時間を心の中で切り離して大切にしている親を感じています。
 思春期にもなるとどうやって自分が生まれてきたのかは当然知ることとなります。その時、大好きなお母さん(もしくはお父さん)が忌み嫌っている人間の血が自分にも流れていると知った時のショックはやはり計り知れないのではないでしょうか。自己肯定感を持てず、出生を怨むかもしれません。また「どうしてそんな奴と子供(=自分)をつくったんだ!!」と今まで大切に育ててくれた親にまでやるせない思いをぶつけたくなるかもしれません。
「今は(死別や離婚で)一緒に居られなくなったけれど、その時大切に想っていたことは真実。だから神様があなた(子)と出逢わせてくれた」という親の心の声を子供は感じているものです。ですから今不本意な状態にある親にも恨みっつらみは持ってほしくありません。子供の為というより、お母さん(お父さん)が気持ちの潤った日々を過ごすために、清々しく過ごすために、(最初は無理やりにでも)プラス思考をすることが大切ですね。

 

 親は親の人生があり、子は子の人生があるのです。子の為に自分の人生を捧げるというのは子供にとっては有難迷惑で、非常にプレッシャーとなる場合がほとんどです。
 それより親が人を謗ることなく周囲の人に常に感謝する背中を見せるだけで子供は健やかに育ちます。言葉と矛盾のない(少ない)行動をしている親が「それはいけないことだよね」と言えば子供の心に届きます。やはり家庭はポジティブオーラで満たすべきで、ネガティブなものは排斥することが大切です。

 

 先述のサンドウィッチのお母さんは、子供がずる賢くならないよう身を以て教えました。また子供に「世界で誰が一番好き?」と訊かれたお母さんは子供に阿(おもね)る返事をしないで、「お父さんが一番好き」と言い、夫婦仲の安定を子供が感じられるよう配慮しました。
 そしてそのお母さん達の共通点は、日頃から人を悪く言わず、言葉と矛盾した行動をとっていなかったことです。周囲の人に感謝し、「やがてあなたも人の役に立つような人物になりなさい」と語っていたことです。

 そのような親に育てられた子供は、美醜や善悪の判断をする物差しを裡に持つようになります。それが彼彼女の行動規範となり、人生を切り拓いていく上での大きな力になっていきます。失敗も多くするかもしれませんが、心を折らず継続し、「自主的に」人の役に立とうとする人物に成長してくれることでしょう。

 

 かといって、親が肩肘張って立派な人物然とする必要はないと思います。やったとしてもすぐ肩が凝ってしまい、一日(いや、数時間?!)で素の自分に戻ってしまうでしょう。良いも悪いも自然体が一番です。自分も出来ていないなら「一緒にしようじゃないか」というLet’sの促しでいいのではないでしょうか。
 それでも親が「言葉と矛盾した行動を極力とらない」ことが重要であることには変わりありません。この一点に気を付ければ、10歳までに子供は【判断の物差し】を正常に形成していくと思います。