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みくにコラム6月号

「家族de修身ー弁えのある子供、洗練された粋な大人でいるために」

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「躾とは そのことの意味や価値が十分わからんうちに、形の方から身につけてゆくことだ」(森信三先生(※)の言葉より)

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 幼児期は「意味や価値が十分わからん」時期です。それもそのはず。まだ脳の成長期である幼児期は論理的に思考することより【感覚的に感じて分かる】能力の方が優れているからです。

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<最初は、聴覚や皮膚の感覚だけを頼りに、ただ受動的に感じるだけの状態ですが、出生と同時に視覚の情報も加わると脳は急速に発達し始め、パターン認識やイメージで記憶することを覚えながら、少しずつ「感じて分かる」能力が身についていきます。お母さんの顔を見分けられるようになったり、「マンマ」「オッパイ」といった特定の言葉に反応出来るようになるのもそのためです、
 そして、幼児期に入るといよいよ感覚吸収は本格化します。好奇心の高まりと共に子供の意識の大半は、人や物の形、色、動き、音……、そして言葉や感情をも含めた、周囲の環境全てを「感じる」ことで占められるようになります。
 特に2歳前後からは、感じる内容と言葉が少しずつ結びつくようになり、それまで「ぼんやり分かる」「何となく分かる」程度だったものが、言葉の発達に比例して、次第に「鮮明に分かる」ようになっていくのです。
 一方、およその基礎的な言語能力をマスターする4歳頃になると「考える」能力、つまり物事を論理的に理解する力も自然と芽生えてきます。「なぜ?」「どうして?」という問いかけが急に増えてくるのもちょうどこの頃です。
 ただし、ここで幼児の興味が一足飛びに「感じる」ことから「考える」ことへと移り変わるわけではなく、しばらくは右脳的な「感じて分かる」能力と左脳的な「考えて理解する」能力とが、互いに補い合いながら共存しているのが特徴です。(『どんな子も100%「絶対音感」がつく』譜久里勝秀著)より>

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 幼児期から「自分の荷物は自分で持つ」「親に暴言を吐いたり蹴ったりしない」「靴をきちんと揃える」「きちんと腰を折り挨拶をする」「(感謝の思いを込めて手を合わせ)いただきますと言って食べる」等の“型としての行動”を子供達に求めることが必要だと思います。そこでいちいち理由を述べる必要があるでしょうか。いいものはいい、ダメなものはダメでいいのではないでしょうか。
 幼児期に培った最低限の倫理観や自身の行動規範は後の判断基準になります。自分の荷物を親に持たせている人を見たら「おかしいな…」と思い、親に対して罵詈雑言を吐いている人を見ると「ひどい!!」と思うようになります。何が正しく何がおかしいか判断出来るようになります。きちんとしている状態を心地よく感じる感性も養えてくると、自ずと品性ある行動がとれるようになります。そして実際に身が修められてくると教わっていないことにもその判断は生かされてくるのです。例えば教わっていなくても「(バスや電車で)人が降りてから乗る」「お店の人からお釣を受け取る際、ありがとうございますと言う」等の行動が自然と取れるようになっていきます。
 このように身に付ければ一生モノの倫理観や行動規範ですが、それらは簡単に身に付くものなのでしょうか。

 私は2つの条件が揃えば簡単に身に付くものだと思います。その条件とは…
?理屈をいちいち述べず、こういう時はこうするもんだという型を分かりやすく伝える。
?親が矛盾した行動を取らない。

 考えるのが苦手で感じるのが得意な幼児期の子供にあれこれ理屈で諭すのはあまり意味がないと思います。例えば「靴揃え」を教える際は「こうやって合わせて置くと気持ちいいでしょ」と言いながらやってみせるのが良いと思います。自分の荷物を持とうとしない場合も「自分の荷物は人に持たせるものではない」と毅然として伝えればいいと思います。その場面で説明に走ると親が子供に阿りやすくなるばかりか、思春期以降変な理屈をこねまわす心を助長することになります。倫理観や行動規範の初期の育成に限っては、納得しようがしまいが「こういうもんだ」というのは必要なのです。一度で分からなくても生活の中で何度も言われているうちに理解していくものです。
 もちろん、高圧的に子供に諭すのは賢明とは言えません。最初のうちは、優しく伝え、本人のやろうとする姿をしっかり見る。そして出来たら本気で褒める。これによって子供は自然と出来るようになります。ある程度出来るようになったら、今度はそれの洗練具合を褒める。その際気をつけたいことは安易に褒めないことです。
(個人差はありますが)年齢的には5歳の誕生日を超える頃でしょう。大抵の倫理観や行動規範の基本を知った上で、今度はそれに磨きをかけていく時期です。これは大人になってもずっと続くことですが、初期のようにちょっとでも出来たら褒めるを続けてしまうと「あ、こんなのでいいんだ…」と適当に誤魔化すことを学習しかねません。ですから「次郎だったらもっと素敵に出来るだろう。どうすればもっとかっこよくなるかな?」と考えさせ、本人の工夫が見えた時に「本気で褒める!!」例えば、自分の靴を揃えて入れた時、下駄箱に砂が目立っていたのできれいに掃いた。そして家族皆の靴を揃えて入れられた。それに親も気付き「本気で褒める!!」
 親も積極的に子供のそうした配慮に気付き、言われる前に進んで褒めることが大切だと思います。その繰り返しによって次第に習い性になり、当たり前になるからです。親が気付いていかないと本人の人格の深層部に染み入っていくことは難しいように思います。

 次に「親が矛盾した行動を取らない」ことも大事です。例えば「自分の荷物は自分で持ちなさい」と言っている同じ口で「ねぇ、重いんだからあなた(旦那さん)が持ってよ!!」と言っては台無しです。子供は旦那さんに自分の荷物を持たせることを憚る母の姿、またそういう奥さんに対し「おぃ重いだろ。俺が持つわ」と慮る父の姿を見て学んでいます。飲食店の店員さんが何かミスをしても横柄な態度を取ることなく、紳士淑女的に振る舞う父母の姿も静かに見つめているのです。
 ですから子供に言うと同時に自身の在り方について襟を正すことが大人にも求められるように思います。

 子供に型を伝えつつ、私達も洗練された粋な大人を目指す。そういう親子関係、素敵だと思うのですが、如何でしょう。<了>
 
※森信三 先生
永遠の道標を示す実践哲学者
1. 国民教育の友として多年の献身
2. 東西文化の融合をめざして「全一学」を創唱
3. 膨大な著述と全国の行脚を通して「人間の生き方」を懇切・平易に説き、多くの人に感化を与えた。
「しつけの三原則(挨拶・返事・靴揃え)」「学校職場の再建三原則(時を守り・場を浄め・礼を正す)」、主体的人間になるための「立腰教育」等は今なお多くの職場や学校において採り入れられ、氏の教えは脈々と語り継がれている。