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みくにコラム8月号「バランスのとれた人格の涵養のために」

 4年前、ある幼児教育機関専門のコンサルティング業者から鹿児島県に幼児の可能性を引き出す取り組みを行い成果を出している園があるとの情報を得、ならば「百聞は一見に如かず」ということで電車を乗り継ぎ乗り継ぎ10時間程かけて行った。
 そこで繰り広げられている光景は、「今までの幼児教育は何だったんだ」と思わせるに充分であった。子供達はいきいきと園庭をかけっこし、ルールを守りながら体操をしていた。出来ないと悔しそうにし何度も何度も「ハイ」と自分を鼓舞するように声を出し挑戦する姿は心を打つものであった。本を読む時や書き方練習をする時も誰も余計な声を出して邪魔するようなことはしない。かといって“やらされている”という感じでもない。子供達は読み終わったり書き終わったりすると次の本や課題に嬉しそうな表情で取り組んでいたのである。『本物』はいつの時代でも圧倒的である。生まれ持った天分を日々伸ばし成長してきた子供達は、「環境をきちんと設定すればここまで伸ばすことが出来る」ということを体現した『本物』であった。
 その体験は、以前から自身が持っていた幼児教育観「期間限定で目覚ましく伸びる時期(臨界期)に伸ばしておくことが子供達の将来への保障であり私達の仕事」が間違えていないという勇気と具体的な方向性を与えてくれた。それからその鹿児島の園を参考にした取り組みを当園でもすることになったのである。年月を経る中で、勉強家である鹿児島の先生が何を参考にしアレンジしてきたかを知ることが出来たが、園児が喜んで登園し、そこで日々成長していることは厳然とした事実である。社会へ向かって流布しようとしない限り、批判の余地はないだろう。
 さて、問題は「当園の子供達を鹿児島の子供達同様日々伸ばすことが出来ているかどうか」である。大人の論理はそれからでいい。
 結論から言えば、「伸ばすことは出来ているがまだまだ伸びしろを残した状態」である。様々な“仕掛け”を環境の中に散りばめることにより子供達は生まれ持った天分を面白いように伸ばしていく。喜々として壁逆立ち歩きに挑戦したりブリッジ、側転等をしている。綺麗に回る友達の側転に憧れ、自分もやろうとする。しかし先日「先生、これ出来る?」と‘出来ないでしょ’という意地悪なニュアンスを含んだ言い方で言う園児がいた。その時内心“まだまだ駄目だな”と思った。音楽や体操を行う目的の一つは「他者の立場を慮る人格の形成」である。人格が涵養されていない場合、自分が出来ることを鼻にかけるいけ好かないガキでしかない。当園で様々なことが出来るようになり、自信や集中力を養うことが出来ているものの、他者の立場への配慮まで至っていない子供が少数にせよいるのは看過出来ない事実である(希望的観測を排除した上で、8・9割はそのような意地の悪い発想はしていないと見てはいるが……)。
 バランスのとれた人格を形成する上で鍵(キー)となるのはレスリングや協働的体操だけではない。美しい漢語・日本語に多く触れさせることや音楽における協働体験が重要な意味を持つ。音楽の美しい響きの中で自分勝手は許されない。ルールを守りつつ意識を集中し音に向かっていくことで多くの部分が養われる。そのことを知るに至ったのは東京のある幼稚園の園長先生との出会いであった。
「音楽についての具体的実践をどう進めていけばよいか」と暗中模索していた時期、尾道市立図書館である本と出会った。感動を以てその本を読み終えた私はいてもたってもいられず、その本の巻末に書かれた問い合わせ先に電話してみた。するとなぜか幼稚園につながった。よく分からないまま住所をお伝えすると後日2冊の本とパンフレット等が郵送されてきた。言ってみれば「私=どこの馬の骨かも分からない奴」である。にもかかわらず惜しげもなく考え方や実践について書かれた本を送ってくださったことに感動し、すぐその先生の幼稚園に訪問させて頂き、見学をさせて頂いたり理論を伺ったりした。何よりの収穫はその先生の人となりを知ることが出来たことである。ここに至るまで随分遠回りをしてしまったが、振り返ると一つ一つの縁がつながっている。今は快く会ってくださった先生とそこに至る縁の僥倖にただ感謝するばかりである。
御調みくに幼稚園
玉崎 勝乗