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みくにコラム10月号「音楽への衝動」

 今年1月より私はピアノを習い始めた。それまで殆ど触ったことすらないピアノであったが、ある園の音楽を聴き、肌で音の響きの世界の素晴らしさを感じ、自分でも何かしないではいられない衝動に駆られたのがきっかけである。もちろん当初は迷いもあった。「(いい歳した自分が)今始めて弾けるようになるのだろうか?」と思い、同時に何となく気恥ずかしい思いがあった。しかし、「何もしないであれこれ迷っていても仕方ない。思い立ったが吉日だ!」と思い直し、入門を決めた。
 始めて9ヶ月が経ち、レパートリーもそれなりに増えた。「もののけ姫」「星に願いを」「戦場のメリークリスマス」「エナジーフロウ」「キラキラ星変奏曲(簡単バージョン)」「メヌエット」「アラベスク」「人生のメリーゴーランド(「ハウルの動く城」より)」等々。タッチが不安定でリズムも時々メトロノームで確認しないとアヤシイ状態であるが、何はともあれレパートリーが増えていくことは楽しいものである。「こんな楽しいことを今までやらなかったなんて何てもったいない!」「始めることにして良かった」と今は思っている。
 音楽は理屈ではない。演奏を指導する人や演奏者が「あーでもない、こーでもない」と議論しより良い音の追求に向かうのは当然かも知れないが、聴き手としての判断は「感動したか、いまいちだったか」「そのサウンドにシビレたか、否か」「メッセージを受け取れたか、否か」で充分ではなかろうか。私は“何も創造しない人間の芸術域に関係する事柄に対するにわかウンチク”を聞かされるのが生理的に苦手である。音楽は読んで字の如く「音を楽しむもの」でありゴチャゴチャ理屈を並べ立てるのは野暮というものである。 人を笑顔にさせ、刹那の感動の波を起こしたサウンドは一過性のものではあるが、人の感覚や記憶に残る。そういう意味では夏の花火に似ている気がしないでもない。ドーンと夜空に大輪を咲かせて消えゆく花火、しかし人々の記憶には残る。大切な人と肩を並べて見上げた花火を心の風景のアルバムに収められている人も多いであろう。花火に対して、「あの紅はもう少し淡い方が良い」とか「開くタイミングが早すぎる」なんて言いながら観賞している人は殆ど居ない。万一、隣の友人が言おうものなら「無粋なことを言うな!興が冷めるだろ」と窘めてしまうだろう。「美しかった」「格好良かった」「可愛かった」と人々の心を震わせたり和ませたりする花火と「(素晴らしすぎて)鳥肌たった」「ハートに刺さった」「とにかくシビレた」「キター、神だよ!スゲー」と感覚に訴える音楽は瞬間芸術という点で非常に共通している。音楽にとやかく理屈を付けることは、花火大会の際に美しさをダイレクトに感じて楽しもうとせず、あれこれ理屈を付けて言葉に翻訳し、それを記憶に留めようとすることと同じ位愚かなことである。誰が写真立てに美しい花火の代わりに「紫と紅が絶妙に散りばめられた記憶に残る素晴らしい花火」と書かれた紙切れ一枚を入れるだろうか。良いものはいい、イマイチはイマイチで素直にとらえればよい。 お客様の反応を見て考えるべきは花火師・音楽家やその関係者である。自分の求める方向性が受け手に好影響を及ぼしているか、またより高みに登っていくにはどうすればいいかを考えるのはクリエイター側の作業である。お客様の全てのニーズに応えることは出来ないが、「何かを感じてもらう域」に行くことが出来るのがクリエイターの素晴らしいところである。もし全てのニーズに応えようとすると、観客に阿ってしまい、自分の方向性を逸脱してしまう危険性を孕むだろう。第一、全てのニーズに応えることなどどだい不可能である。クリエイターは孤独だからこそ良い仕事が出来るし、お客様の感覚とマッチングした瞬間、「感動の炎(ほむら)」を立ち上がらせることが出来るのだと思う。
 私がピアノを始めるきっかけとなった先述の園のサウンドも園長先生と奥様、そして園スタッフの感性感覚と子供達の感性感覚が日々共鳴することで素晴らしいサウンドへと昇華しているのだと思う。クリエイターは孤独であることが多い中、協働による活動で成功を収めている稀有な例と言えよう。その園の音楽については賛否両論あるようだが、私はシビれ、ファンになった。そして自分も音楽に関わっていたいと思い、ピアノを始めた。
 「みくに幼稚園」「御調みくに幼稚園」での音楽の取り組みはまだ始まったばかりであるが、私が敬愛する園のサウンドのように、ちょうど私が音楽を始めずにはいられなくなったように、誰かを音楽へと誘うきっかけとなる位のいい音、響きを目指し、日々取り組んでいこうと思う。前を見ると気が遠くなるような道のりだがそれはスタート・ゴールの二点ではない。道中いろいろな音との出会いを子供達は楽しむであろうし、音との出会いが幼児の感性・心を育んでくれる。いい音、響きはその延長線上にあるもので、幼児の感性・心の成長なくして得られるものではない。そう考えると幼稚園での音作りは同時に子供達の感性・心の涵養とイコールであることが分かる。

御調みくに幼稚園
代表 玉崎 勝乗