トップページ » BLOG 2014年04月

代表コラム5月号『絵本の記憶』

 先日、尾道中央図書館に行った時のことでした。目的の本をお借りした後、しばらくぶりに自分が子供の時慣れ親しんだ絵本達に会ってみようとコーナーに立ち寄りました。

 そこには幼かった時に出会った数々の絵本がありました。子供の時見た自動車は健在。次はどこへ行くのだろうとワクワクして次のページをめくる緊張感が蘇ってきました。ただ少し自動車は小さくなったような気がしましたが。(『てつたくんのじどうしゃ』)

てつたくんのじどうしゃ
 他の作品は…?
『ぐりとぐら』
 かつて匂いまで感じながら幸福感に包まれていたことが思い出されました。懐かしい思いにしばらく見入ってしまいました。

ぐりぐら パンケーキ

『おっとあぶない』
 子供の頃はやってはいけないことを次々とやってみせる登場人物達の姿に自分を重ね、痛快な思いを抱いていたことが思い出されました。
 この作品は絵が美しいわけでもなければ感動する話でもありません。でもやってはいけないことが沢山描かれたこの本を開く時は、まるで禁書を紐解くようなドキドキ感を覚えたものでした。

おっとあぶない絵本の記憶

 山口雅子氏の『絵本の記憶、子どもの気持ち(福音館書店)』という本で、大人は絵本に意味を求めたり教訓めいたものを見出そうとするが子供達は絵本そのものを感じようとすると受け取り方の違いについて紹介されています。大人になってその絵本を手に取った瞬間、全てのストーリーが思い出され、読み聞かせをしてくれたお母さんの声が蘇ってきたという素敵なエピソードについても触れられています。
 幼児は、言語表現や論理的な思考が得意ではありません。けれどもそれを補って余りある「感じる」能力に長けています。ですから絵本の絵を感じて楽しむのはもちろん、絵本をお母さんに読んでもらっている時間も全身で感じているのです。その場合、絵本はまさにコミュニケーションツールと言えるでしょう。一緒に絵本の世界をめぐり、驚き喜び共感してくれるお母さんの愛情を直に感じる子供にとってはかけがえのない時間なのです。
 ひらがなや漢字が読めるようになると、子供達は自分で好みの絵本や児童書を選んで読むようになります。しかし、これは親が子に読み聞かせる場合とは意味が違います。前者は個人で絵本の世界を楽しんでいるのに対し、後者は共感してくれる親がいます。親と一緒になって絵本を楽しんでいるのです。
 仕事や家事を終えて疲れている時はなかなか読み聞かせをしようという気にはなれないかもしれません。でも絵本を可愛らしく持ってきて「読んで?♪」とせがむ時期は長くありません。歳を経るにつれて、興味はスポーツや児童書、ゲーム等へと向かい、やがて見向きもしなくなります。
 ですから僅かでも時間を取って読んであげてほしいと思います。それによってどうなるわけではありません。言うことを聞かない子が急に言うことを聞く。人が変わったように褒められる行動をするということは余り期待できないと思います。けれども親子で過ごした時間は、子供のかけがえの無い記憶として残っていきます。
 大人になって絵本がどこかよそよそしい表情に感じられても親に読んでもらった時の声や雰囲気はそのまま蘇ってくるものです。私の場合、絵本を楽しんでいた時の感覚は思い出せましたが、残念ながら親の声は立ち上がりませんでした。絵本との思い出はかけがえの無い宝物ですが、そこに親の愛情溢れる声があったらどれ程素敵なことでしょう。『絵本の記憶、子どもの気持ち』の中で紹介されていた「お母さんの声が蘇ってきた」という経験をされた方を幾分羨ましく思います。
 昨今、行動の全てに「?の為になるか」と合理的効果を求める傾向がありますが、そういうものにとらわれないで過ごす時間こそが大切なのかもしれませんね。 <了>