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【5月園長コラム】教育の目的

 教育の目的は、教育基本法第1章第1条で次のように述べられています。
『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の形成を期して行わなければならない』
 人格を磨きつつ、国家・社会に貢献し、次世代へと命と叡智のリレーをしていくことが出来る生物は人間をおいて他にありません。様々な生きものの命を頂き、植物に底支えしてもらいながら、リレーを連綿と続けているのが人類なのです。
 多くのことに挑戦し、数えきれないくらいの失敗をし、そこから学び、結果人格は磨かれていきます。それは一生涯に渡っての試みであり、成人してはい終わりというものではありません。

 

 その試みのスタートが幼児期から始まる教育なのです。この世に生を受けて既に親から多くのことを教わっていますが、家族を離れた集団の中で学ぶのは幼稚園が初めてとなります。
 近年この重要な時期が脳科学的視点で説かれています。脳は幼児期にそのほとんどが形成されることが分かっています。

 

 その大切な幼児期に良質な言葉、音、体験のシャワーを浴びることが出来た子供達はどんどん整います。幼児期に「集中力とわきまえ」をつけておくことが肝要ですが、何もしないで放っておいてつくものではありません。子供達に無理のない課題を毎日与え、時々ちょっとだけ難しいことに挑戦する環境を設定する。そして子供達を定点観測し、保育者の環境設定が適切かいつも見直す。適切でないなら、より子供達が熱中出来る環境へと変更することが重要です。もちろん人の話をきちんと聞く姿勢を求めながら進行します。

 

 教諭の愛情と実践力によって「集中力とわきまえ」を身につけていくのですが、その過程で多くのプチ挫折とスモールゴールへの到達を体験します。その繰り返し体験により音感や運動能力、言語能力等の他、【集中力やわきまえ、他者への配慮・共感の心】が育つと考えています。寧ろ私達保育者にとって後者の方が目的です。前者の音感や運動能力は繰り返しによる副次的産物です。ただ、そうは言っても言語能力、音感等が小学校以降の人格形成や学習の質を高めることは明らかです。
 また子供が自主的に自由に選んでする遊びにも変化が出てきます。音楽活動をはじめとした協働体験によりルールを守ることが自然に身についているので、友達とうまく譲り合ったり協力したりして遊べます。一人で遊ばなくてはならない時も内面的世界が豊かなので、想像を働かせて遊ぶことも出来ます。

 

 そもそも整ってもいない本能むき出しの子供を集団に放り込んで、「色々なスキルを身につけるように!!」というのは地域の教育力が機能していた時代ならいざしらず、今はいささか乱暴な考えのように思います。同じ屋根の下で何世代も一緒に暮らしている、何か悪さをしていたら近所の人に窘められる、一人で寂しそうにしていると近所の人が声をかけて自分の子のように心配してくれる…そういう中で子供達はどう人と関わればいいのかを学び、何が良くていけないのかを自然に学べていました。
 しかし今は違います。核家族化や地域の結びつきの希薄化等複数の要因により、集団の中でスキルを自然に身につける準備が子供の裡でまだ出来ていないように感じます。にも関わらず集団に放り込むとどうなるか。そこで上手く遊びを見付け、自身で伸びる子供は問題ないのですが、そうでない場合、中には消極的に時間を費やす子供もいます。人格の基礎に大きく影響する幼児期にこのような無為な時間を過ごさせることはあってはなりません。

 

 よく「子供の可能性は∞」と言われますが、∞ではありません。可能性が全員無限大ならみんな博士になっています。みんなプロスポーツ選手になっています。そもそも始めてもいないのに可能性の話をすることが無意味です。本を読まず、絵筆も持ったことがない者が「レオナルド・ダヴィンチのように発明と素晴らしい絵画を描く人生を送る」と言ったり、真剣に練習したこともない者が「イチローのような選手になる」と言うのは【とらぬ狸の皮算用】です。また、「始めていないのだから可能性は無限大です」というのは詭弁にしか聞こえません。可能性と言わずに「実現期待値」と言った方がしっくりときます。
 幼児期のうちに【集中力やわきまえ、他者への配慮・共感の心】をはじめとする様々な面での成長を促し、整えることが重要と思います。
 そうすることで、子供は自信を持っていろんなことに立ち向かえるようになり、それと正比例して実現期待値も上がると考えます。実現期待値は、本人の能力向上によって置かれた環境の縛り(国の体制・住む地域・時代の求め・家庭の経済や構成)を一つ一つクリアーしていくことで高められていくものだと思います。
 それでも全員が実現期待値を高め、思いを実現することは不可能でしょう。ただ「諦めない限り負けはない。諦めた時、人は真に敗北する」という言葉の通り、失敗や一時的敗北は成功へのプロセスだと思います。しかし「継続的努力をしているにも関わらず、生きているうちに実現に至らなかった場合、負けなのか?」という問題がありますが、それは勝ち負けという二元論で考えた際出てくるもので、実際にはそう単純に割り切れるものではないでしょう。
 実現期待値を高める努力は人間性を高めます。そう、教育基本法で言うところの「人格の完成を目指す行為」に他なりません。図らずも生きているうちに思いが達成出来なかったとしても、己を研鑽してきたことによる自信と強靭な心は、老後の絶望を回避し、幸福を感じることの出来る人間へと成長させてくれるに違いありません。

 

 教育基本法の教育の目的を達成するためにも、人格の基礎を形成する幼児期に出来ることをより具体的に、継続して進めていきたいと思います。