みくにコラム4月号「幼稚園におけるリーダーの仕事」
幼稚園の役割はご家庭の子育て支援はもちろん、あと子供達が持って生まれた天分を引き出すということがあります。(かわいそうな人を見たら助けないではいられない)優しい心、友達との和を大切にする心、善悪・美醜を判断する心眼、(知りたいと思うことに素直に向かえる)知的好奇心とそれを満たすために継続的に粘れる強さ、しなやかな身体……当園はこのような面に重点を置いて日々活動しておりますが、当然ながらどの園も独自のカリキュラムを準備し、日々それぞれに実践しています。
この中で特に重要になってくるのが教諭のピント合わせです。園の方針・園の実践方法論・自分の創意工夫・子供の実態等をきちんと理解し、「(その園にとって)望ましい保育」を実践する必要があります。その中では、日々方針が確認され、実践に結びついていることが重要です。たとえ園の実践方法論が間違っていると思ってもです。なぜならそれがチームというものだからです。
園の方針や実践方法論の明文化がされておらず、日々の保育に方針がない園は、とかく「教諭の趣味に付き合わせるような保育」になってしまいがちです。日々の設定保育は教諭の思い付きにより計画され、継続性のない活動が卒園までひたすら行われていきます。御調地区にはそのような園は一園とて無いようですが、全国的には少なくありません。某保育雑誌を見て、参考にするのならまだしも、それを見てパーツをそのまま作り、そして子供に組み立てたり貼らせたりする。ここで教諭の趣味に付き合わされる園児は本当に不幸だと思います。いえ園児だけではありません。教諭も不幸です。日々「本当にこれでいいのだろうか?」とどこかスッキリしない思いを抱えながら、それでも実践はしていかなくてはならないので、「うん、これでいいんだ」と自分の心を無理矢理納得させながら仕事に関わっているからです。当然そのような意識では何年キャリアを積もうが大したスキルは身に付きません。この不毛な事態は園のリーダー(園長や副園長、主任)の責任によるところが大きいと思います。
伸ばせば幾らでも伸びる部分があるのに非生産的活動に付き合わされる園児並びに教諭は不幸です。こう言うと一部の方からの反論が予想されます。「子供達にとって貼るだけが重要な時期もある」「教諭は教えられなくても自分の園のカラーを理解し、自身で研究していくものだ」と。もちろん数年に渡っての見通しを以て作られた計画ならばそれは立派な実践だと思います。ただ糊で貼り合わせるところから始まり、次第にステップアップし、卒業の頃は素材を意識して糊を使うかボンドを使うか判断、また素材感の活かし方を子供自ら考えるといったレベルにまで引き上げていくならば素晴らしいことだと思います。教諭にしても研究する機会、また自分の創意工夫が評価されるシステム、全体でその実践価値が測られる場があれば最初は猿真似でも次第に高度な実践が出来るようになると思います。しかし実際そのような環境の中で保育実践を行っている園は圧倒的に少ないと言えるでしょう。なぜなら日々の慌ただしい保育の中で個人的に方法を確立していくことは大変困難だからです。
だから園の方針・園の実践方法論を理解し、それに自分の創意工夫を加味し、実践活動を行っていくのが一番現実的且つ効果的な方法だと思います。リーダーは教諭がピント合わせしやすいよう極力分かりやすくそれらを提示し、提示した後もそれらが本当に間違えていないか。今の子供達の実態に即しているか、即していないとすればどのようにアレンジすればよいか等自問自答する必要があるでしょう。そうすれば園の進む方向がその都度矯正され、おかしな方向には行かないと思います。つまりリーダーは「教諭はじめ子供達、保護者がワクワクし、その先(結果)を見てみたくなるような方針・実践方法論という羅針盤(コンパス)」を強烈に打ち出すことが仕事と言えるでしょう。
その上で教諭が自身の実践を内省出来るよう研修を行ったり、第三者から評価・助言を頂けるよう環境を整える必要があると思います。そうすることで教諭は自身の実践の瑕疵を改め、また他者からの評価によって自信も深めることが出来ると思います。
現在当園はまだ出帆したばかりですが、教諭の素直さ、ひたむきさに支えられ、徐々に子供達にも目に見える結果として日々の実践効果が現れてきました。これからも分かりやすい方針・原理原則に基づいた分かりやすい実践方法を背景に、子供達の時宜に適した教育環境を設定することで更に天分を伸ばしていけたら幸甚に思います。 (了)