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みくにコラム12月号「趣味に付き合わせる保育は是か非か?」

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 2009年ももう終わろうとしているが、私にとってこの1年は様々な事を考えさせられる1年であったように思う。

 その中の一つに「幼稚園教諭の趣味に付き合わせる保育をしてはならない」という事がある。

実際多くの園で、幼稚園教諭向けの某雑誌等で掲載されている製作をそのまま用い、教諭がそのレシピに従い準備したパーツを当の幼児達はただ言われるままに貼り付けたり色を付けたりするだけという取り組みが行われている。当然出来上がったものは見栄えは悪くないものの画一的である。それらが壁面として飾られているのを見ると私はどこか気持ち悪ささえ感じてしまう。

大好きな担任の先生に言われると、幼児は出来るだけ先生の期待に応えようと指示通りに作ろう、描こうとする。そしてどれも似たようなものになっている製作を教諭は「どうです。素晴らしい出来でしょう!」とばかりに飾り、最後は家に迄持って帰らせる。大体に於いてそれらの取り組みは単発花火のようである。連続したものでなく、教諭の思いつきなのである。良いところで季節感を意識したり丁度子供達が聞いた童話をモチーフにしたりという程度のものである。

製作については私自身にも考えがあり、「初めは糊で紙を貼り合わせるだけ、1枚の紙を2つに折るだけ。子供達が出来るようになるのに合わせ次第にテクニックもレベルアップし、年長になる頃には溶接こそしないものの、各種ボンドを用意し、素材に合わせて選択させ、自分の頭の中にあるイメージを形にしていくというものである。目の前にある絵に本物の水が必要と感じた子供は水をかけるであろうし砂をばらまくのが自然と感じれば砂をかけるだろう。またキリンの首の長さが足りなければ紙を付け足し、キリンの首を描く。アイデア・イメージの涵養を様々な取り組みを通して行い、それと平行してテクニックも知っていく。失敗もまた経験。本来製作とはそういうものだ」というものである。出来る環境を設定すれば,子供達はその環境の中で素材を選び、出来る事を形にしていく。「形になるから面白い、面白いから何度でもその製作をやってみたくなる。そのうちちょっと難しい事にも挑戦してみたくなる。ちょっと難しかったけど何とか出来た。またやりたい!」という想いを抱く。ある程度のスキルが身に付けば、結構早い段階でのクラス全体での製作も可能である。全員で一つの作品を創り上げる中で共感や協力することの大切さを子供達は学んでいくに違いない。私は本来製作といったものはこういうものだと考えている。教諭が某雑誌の製作見本から「これを作らせてみたーい」と思いつきでチョイスし、膨大な時間をかけてパーツ作りをし80%以上教諭の作品といったようなものを園児まで巻き込んで作っているのは道化を超えて罪のように感じている。なぜならばそれらに費やされた時間の代わりに「今日?さんが?出来るようになった。明日は?にも挑戦させてみたい」とあれこれ考えたり、教諭間で情報のやりとりにその時間が当てられたりしていればもっと有意義であるのにと思うからである。

私は決して製作に否定的なわけではない。ただ製作をさせるにもその時期その時期に配慮した3年間の連続した計画・ねらいが必要だと思うだけである。実際、製作をそうした考えで行っていくのは大変骨の折れる作業で、教諭は素材集めにも奔走することになり、1日の殆どの活動が製作で終わってしまうことになりかねない。

そこで「はてどうしたものか?」と頭を抱えてしまった私の結論は、『学校法人の幼稚園として進めていかなくてはならない5領域の中の「表現」の一部「製作に関わる活動」のウエイトを減らし、「読み・書き・計算・音楽・体操」といった幼児期でないと著しい成長が見込めない分野にウエイトを置いて教育活動をすることが大切だ』というものだ。感じることが得意な幼児期にリトミックやリズム打ち・身体反応や聴音・聴唱・聴奏・鍵盤奏に毎日親しませ情操を豊かにすることが、また音楽の中でルールを学ぶ大切さや共感する喜びを感じることが大切なのである。一つの音楽を皆で創り上げるのは製作とコンセプトは非常に似ている。丁度積み木で大きな船をみんなで作るように一つ一つの声や楽器で一つの音楽を創るのである。その中で子供達は協働的作業を自然と行い、仲間と協力し合う喜び、大切さを肌で感じていくのである。「読み」や「書き」に於いても同様で、幼児は漢字という大人が一見難しく感じる形でさえ感じ、「楽しいな」という感覚を伴いながら記憶していくのである。

時間は無限にあるわけではない。1日の、しかも4時間程度の時間の中で、園児全員の「今この瞬間伸びる本来生まれ持った才能」を伸ばすことをしなくては私達幼児教育に携わっている者としては怠慢である。言い訳がましくなるが、「現実行える効果的教育」と「行いたいが時間的物理的要因により実施が大変困難な効果的教育」を天秤にかけざるを得ないのが実情である。

色々述べたが、私としては「読み・書き・計算・音楽・体操」が一刻の無駄な時間もなくスムーズに流れ、且つ子供達がいきいきと楽しんで取り組み、全員が持ちうる能力をこれ以上ない位発揮している状態になった時、改めて当園の考え方で「合理的且つ効果的製作」について再考したいと思っている。それまでは、先述した考え方で、しかもスローペースな取り組みになるので、テクニックとしては稚拙な製作しかできないであろう。(発想は膨大な本、音楽に触れるので幾らでも溢れるであろうが…)しかし教諭の趣味に付き合って見栄えよく作った画一的作品より意味があるのではなかろうか?「製作」に関しては現在「宿題だな」というのが正直なところである。

                      御調みくに幼稚園

                     代表  玉崎 勝乗