代表コラム9月号【必要な基本姿勢】
【学校に必要な基本姿勢=良質な過程・結果の希求と無条件の受容】
子供達は、縁あってこの世に生を受けた存在です。両親が出逢ったことにより生まれた命です。そもそも親自身が存在していなければ生まれる可能性すらなかったのです。 そう考えると、人も数多くのご縁の重なりによって連綿と命のリレーを続けている生物と言えるでしょう。 お子さんが生まれた時、「私の所に生まれて来てくれてありがとう」「俺もいよいよ父親か。頑張らないと」と無条件に喜び、また親となることへの心地よいプレッシャーを感じたことと思います。産声を上げ、力強く胸にしがみついてくるわが子に感動して涙したお母さんもおられることでしょう。初めての産湯を恐る恐る行ったことが昨日のことのように思い出されるお父さんもいらっしゃるでしょう。
さて、幼稚園では「幼児期に著しく伸びる天分を存分に伸ばし、弁えと集中力を持ったバランスのとれた人格にすること」というミッション(使命)を持ち、関わった子全て伸ばす実践活動を日々途切れることなく行っています。「本当の伸びは可視化出来るもの。子供達が集中し取り組む姿は大人が思わずため息をついてしまう位素敵なもの」と考え、結果も重視します。
日々のリトミックや音楽活動の中で拍感やソルフェージュ感が培われているかどうかは動きや演奏を観察すれば手に取るように分かります。また漢字で教える石井式漢字教育でも子供達が生き生きと詰まることなく音読する様子を見るとどれだけ集中しているかが分かります。良質な結果は良質な過程によって生まれるものです。
過程がいい加減であれば、その先にある(一時的)結果も大したものになりません。私は「結果が全てではない。過程が大事」は人を励ます時に使う言葉で自分から発する言葉ではないと思います。
「結果も大事。過程も大事。良質な結果の背景には、必ず良質な過程があるはず」と考え、毎日の実践活動では上滑りの無いきちんとした積み重ねをしていく必要があります。それと同時に、目の前に居る子供達にきちんと向き合い、心を重ね、共感することも大切だと思います。
それを忘れると、ただただ結果を出すことに焦り、子供達の気持ちをないがしろにした実践となってしまうからです。
無理やり教え込まれる素読や音楽は楽しくありません。やりたくないのにさせられる側転や跳び箱も辛いだけの取り組みになってしまいます。 反面、子供達と心を重ね、共感して行う活動では、先生ばかりでなく子供達の表情も生き生きしています。「ハイ!!」という元気な声が教室に響き、ちょっとだけ難しいことにも自分から立ち向かっていくハッと息を呑むような美しい姿がそこにはあります。
「心を重ね、共感する」?これはとても大切ですが、言うは易く行うは難し。これを行うには教諭にも精神的なゆとりが必要でしょう。また手を貸さず待つ忍耐強さも必要だと思います。
特に発想の出発点として「?君がいるのがいいね♪」「?さん、居てくれてありがとう」という(冒頭で触れた親のような)無条件の受容が大切だと思います。「(一所懸命体操しているから)可愛い」「(吹いてほしい所でちゃんとピアニーを吹いているから)可愛い」は条件付きの好感であり、愛情ではないと思います。
良質な過程、(子供達の天分が存分に伸びているという)良質な結果を希求することと無条件の受容は両輪だと思います。どちらかに偏るのはやはりバランスが悪いと思います。厳しい見方かもしれませんが、後者のみでしたら幼稚園の存在意義は無いでしょう。子供達にしてみれば、無条件の受容は親にして貰えば充分です。
無条件の受容を前提として子供達と関わりながら、天分を伸ばす。これこそが学校(【幼稚園】は国・県から認可を受けているれっきとした学校です)に必要な姿勢だと思います。<了>