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コラム4月号「幼児教育は土壌作り」

 おかげさまで、4年前7名でスタートした当園も平成26年度40名弱(途中入園も考慮)数えるまでになりました。
 これも皆様の適時教育へのご理解ご協力のおかげだと思います。

 

 4年前、開園準備にあたっては当時幼稚園の建物は当法人のものではなかったため近くの別の場所に窓口を設けました。冬の寒い中、いつ来られるとも分からない入園希望者を待つのはそれはそれは不安でした。2週間程その場を窓口としていましたがどなたも来られず、独りおずおずと片付けをしていた日もありました。

 

 それでも腐らずに済んだのは「これから関わる子供達を伸ばしたい。小学校以降の学びを存分に吸収できる集中力と弁えを育みたい。バランスのとれた人格に整えたい。そしてその道筋・原理原則はある!!」という自信があったからだと思います。
 本当に園を始めることが出来るのだろうか…という不安は最終的には払拭出来、何とか教諭2名、子供7名でスタート出来ました。まだ何の実績も出していない園に入園させてくださった保護者の皆様には本当に頭が上がりません。ですから「たった7名」ではなく「7名も」と考えることが出来ました。数字もラッキーセブンです。「この7名との関係をまず大切にしていこう」と思いながらの開園でした。
 教職員にも恵まれ、当園の適時教育の理解・実践に苦労しながらも頑張ってくれました。子供達の登園しない第3土曜日にも園内研修に参加し研鑽に努めてくれました。園に関わる皆様のご理解ご協力で子供達・教諭と日々精進出来たことは本当にありがたいことでした。

 

 子供達は無事卒園し、活躍を時折耳にすることもあります。今後の更なる活躍に期待を膨らませています。
 こうした思いを抱けるのも彼らとの【ご縁】を頂けたからだと思います。

 

 生きていて楽しいこと…それは私にとって【ご縁】です。お金や名誉も確かにあったらあったでありがたいもの(「衣食足りて礼節を知る」の諺にもあるように最低限は必要だとは思っています)ですが、そんなあの世に持って行けそうもないものより生きた人間が織り成す「ご縁の旅」の方が遥かにスリリングで心躍るものです。
 そうは言っても結びつくご縁ばかりではありません。「切れてしまうというご縁」もあると最近考えるようになりました。「全ては天の采配で、繋がりが断たれたこともお互いの為には良かったのだ」と思うこともあるのです。かといって相手に対して憎しみや怒りの感情もありません。広い意味での【ご縁】の中で、「終わるというご縁だったのだな」と思うだけです。今ではそういう方々と過ごした時間も「学ばせて頂いた時間」と考えられるようになりました。
 この世に生を受けたのも「現世とのご縁」と考えることが出来ます。最近は、現世で「幼稚園という器の中で、次世代を育む」という役を天から与えられており、その使命を果たすことが重要という考えに傾きつつあります。100年適時教育が続くならば、私の命、今日にでも喜んで差し出すところですが、残念ながらまだまだ文句なしに素晴らしいとは言えない状況なので草葉の陰に行くわけにはいかないと思っています。

 

 素晴らしい状態の適時教育が展開されていれば、次のことが身に付きます。
?素直に返事、挨拶ができる
?心身ともに健康である
?人の話を聞く
 挙げるとシンプルですが、一つ一つは奥が深い…。
 園で実践している適時教育は、まさにそれらの基盤となる「弁えと集中力、そしてバランスのとれた人格」を育むために行っているのです。これを高めることが出来て初めて???の状況が顕現してくるものと考えています。

 

 昨今世間で問題になっているのが?の「人の話を聞く」ことが出来なくなっているということです。小学校の先生が幼児教育に求めているのもこの点です。それもそのはず。授業は子供達が聞かないことには始まらないからです。集中していない子供に幾ら授業をしてもそれは上滑りして身に付きません。先生は「授業をしている」というアリバイ証明、子供はそれに付き合うか無視して傍若無人な振る舞いで、両者同空間に居ながら交わっていないという不幸な状態に陥ってしまいます。
 小学校で素直な気持ちで多くのことを学び、人間的成長を遂げるため、その準備段階としての幼児教育は特に重要だと思います。
 小学校に入るとそれまでの幼稚園や保育園とは違い、学習が始まります。一斉授業という形で、分かろうと分かるまいと一定時間席に着いて先生の話や説明に傾聴しなくてはなりません。当然集中して聞く子供とそうでない子供はどんどん差が開いてしまいます。席に座り傾聴するという訓練が出来ていない子供にとっては決して簡単なことではありません。聞くことが出来ない子供にとってはつらい時間でしょう。

 

 人の話をきちんと聞く姿勢作りは、言ってみれば田畑を耕すようなものです。
 良い土を入れ、しっかり耕し、どんなものを植えてもスクスクと育つ土壌作りが幼児教育の使命といってもいいでしょう。弁え・集中力・脳力・惻隠の情・整った人格で肥沃になった土壌に撒かれた種は自らの力でどんどん伸びることでしょう。人の話を聞く姿勢作りもそうした土壌作りの一つと言えます。

 

 一方、幼児期に「人と協調し楽しむ素晴らしさ」、「皆がルールを守る秩序ある空間に居る気持ち良さ」を知ることなく過ごした子供達、人格を整えることなく過ごした子供達はどうでしょう。このたとえで言うと、痩せた土壌に種を撒くようなものです。どんなに伸ばそうと思ってもなかなか伸びるものではありません。何らかの影響により、本人の中に革命的変化が起きない限り難しいでしょう。

 

 この土壌作りが幼児期には比較的たやすいのです。教え込みでない「感じて分かる保育」を通してどんどん肥沃になっていきます。「読み書き算盤・音楽・体操」で自然と以後の学習や人格育成に必要な下地を作ることが出来るのです。論理的思考を駆使するのでなく、出来ることを繰り返し繰り返しやり、時々少しだけ難しいことに挑戦しながら子供達は習い性で身に付けていきます。幼児期に論理的思考をさせることは百害あって一利なし。「幼児期は賢かったけれど、今では大したことないね」になることは火を見るより明らかです。「何だか楽しんでいるうちに分かるようになっちゃった」という状態がベストなのです。なぜそうなるのか分からないけれど、算盤をはじいていたら答えが出ている、いちいち説明は出来ないけれど先生が弾いたフレーズをなぞることが出来るというように。「感じて分かる快感」を知った子供達はもう誰にも止められません。自ら学び、習得しようと心に火が点いているからです。
 集中して自ら学び取ろうとする、困っている人がいたら自分に置き換えて感じ考え、何とかしようとする。肥沃な土地の種子達は貪欲に、そして謙虚に伸びることをやめないことでしょう。愛情とスキルのバランスがとれた幼稚園教諭が見守る中、子供達が自ら土壌を肥沃にしていく…これが望ましい状態です。
 そうした土壌で育つ彼らは人生の中で強風に煽られ、時にへし折られそうになっても踏ん張り、経験を糧に人間的度量をつけてくれるものと思います。

 

 5年目に入るにあたり、初心を忘れず適時教育の実践に努めていきたいと思います。揺るぎない実践で皆が整い、関わった皆が誇りに思うような園になれば、私も「現世と切れるというご縁」を快く受け入れることが出来るでしょう。7名から始まった【ご縁】をどこまで楽しめるかは定かではありませんが、しばらく「現世でのご縁の旅」を楽しんで参りたいと思います。(了)