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みくにコラム5月号

   「幼稚園教諭の仕事への姿勢」

 高校生の頃から論理と想い(・感覚)のバランスは大切と思ってきた。想いの無い論理は虚しく、逆に想いばかりで論理的に説明のつかないものは独善的である。
 それは幼稚園の教諭とて同じことで、幾ら“子供が好き♪”“子供のため”と思っていても、原理原則・系統だった方法論・(必要ならば)テキストがなければ、思いつきの自分の趣味に付き合わせる保育になりがちであるし、当然その日暮らしな保育になってしまうだろう。人間的交流はあるのでそれはそれでいいような気もするが、直観記憶能力が長け、運動的感覚がぐいぐい伸び、音感が鋭い幼児期を漫然と過ごすのはやはり勿体なさ過ぎる。幼稚園教諭にとって子供への愛情表現とは結局「子供達が生来持っている才能を開花させることやわきまえの感覚を育むこと」ではないか。将来一人前の人間として自立していくための基礎を作ることではないか。そのためにも、やはり原理原則に則った実践が大切だと思う。
 もちろん園独自の実践を行っていくにあたっては保護者の理解が必要不可欠である。子供にとって親より大事な存在はない。幼稚園の先生のことが好きでも親を超えることはあり得ない。その大好きなお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんが幼稚園の先生や園を批判していたら、子供は敏感に感じ取り、先生を馬鹿にすることだろう。鳥瞰視すれば、素直な気持ちで担任の指示に従ったり園の実践活動に参加することができなくなるので、結局その子のためにならない。少し乱暴な言い方かもしれないが、先生や園の批判は(もしあるとすればだが)子供の居ない所でして頂きたい。逆に先生や園に好意的な旨の話は子供の前でどんどんして頂きたく思う(笑)保護者から園の実践内容が理解支持されることは私達にとって有難いばかりでなく、子供達のメンタル面において非常に好影響である。子供達は純粋に活動に没頭し、そこで出来た数々のことを保護者の方に報告するだろう。保護者に驚かれたり喜ばれたりした子供達は、次の新たな報告を目指して次の活動にやる気を以て取り組むことと思う。(無論それだけがモチベーションとなるわけではないが…)
 さて、話を論理と感覚のバランスに戻そう。子供達と共感しながら“子供が好き♪”という想いを子供の目に見える成長により表現することがプロの幼稚園教諭であることは前述の通りであるが、論理すなわち「どうすれば」の部分での知識及び研究は他の業種同様必要不可欠と思う。当園を例にとると「どうやって日々の継続的な実践をするか」から始まり「どうすれば楽しくしかも音感を養うリトミックが出来るか」「どうすれば全員がブリッジ回転が出来るか」「どうすれば更に集中して言葉遊びが出来るか」などなど…。想いがあるのは必須だが、それだけではやはり不十分なのだ。他の多くの仕事同様「知らない」は罪(sin)である。幼稚園教諭が、子供を本当に想うなら「どうすれば守れるか」「どうすれば伸びるか」の探求は欠かせない。そして具体的スキルを実践し子供の天分を伸ばして初めて「子供が好きだ」「子供のことを想っている」と胸を張って言えると思う。  これからも保護者をはじめ多くの方のご理解ご協力を頂きながら、論理と想い(・感覚)のバランスがとれた実践を進めていく。      (了)