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みくにコラム1月号 「手をかけ過ぎない」

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 教育関係のお仕事をされている方が当園を見学されると子供達が積極的に集中して「読み書き計算・MS・体操」に取り組んでいることに一様に驚かれます。また「どうやったらこんなに集中して取り組むようになるのですか」ともよく訊かれます。
 私達の保育では子供への補助は最小限に止めます。子供が困らないよう何もかもしてあげることは却って子供達の自立心を損なうことになります。例えば「書き」で「ここはもっと??やって書いて!!」「ここはみ出さないように書いて!!」「もっとお手本を見て!!」等と日頃から言ってしまうと子供達はどんどん書くことが嫌いになってしまいます。大人でも自分のいいところを少しも分かろうとしない人にあれこれ注意ばかりされると反感を抱いてしまいます。指導という名の「教え込み」は伸ばすどころか嫌いな気持ちを助長するという皮肉な結果をもたらすのです。
 私達のやり方では、見本のような線や字が書けなくても集中して書いたことが見て取れる字に花マルをします。ヨレヨレの線ばかりでも時折いい線があれば、それを見逃さず褒めるのです。それを繰り返していくとお友達・自分が書いた花マルをもらった字を見る等して、どういう字を書けばいいのかが分かり始め、やがてお手本をしっかり見て丁寧に書くようになります。ここで必要なのは僅かな伸びをも見逃さない繊細な観察と指導側の待つ心です。
 「こうこうこういうふうにやって!!」と手とり足とりやったらとりあえずの形にはなるでしょう。しかしそこにどういう意味があるのでしょうか。毎回同じように手がかかり、その割には子供はいつ迄たってもなかなか出来るようにはなりません。とりあえずの形を求めることは大人の都合であり、子供へ目を向けているとは言えません。教えたという気になるためのアリバイ証明のようなものでしょう。
 本当に子供の成長を願うなら、出来ることはどんどん子供にやらせ、自立心を発揮して挑戦した時は思いっきり褒めたいものです。例え挑戦したことが失敗に終わってもです。失敗は「自分だけのオリジナル教科書」です。何度も失敗する中で子供達はどうすればもっとうまく出来るのかということを体験的に学んでいきます。先程の例で見てみますと最初は上手く書けなくてもそのうち「あ、ここはこう力を入れて書いたらかっこいい字になるな」と自分で気付きます。そしてそれが案の定花マルをもらえると嬉しい気持ちになります。もちろん最初は「誰でも出来る課題」から始めていきます。ただただ線を書くことから始めて次第に形が複雑になっていきます。「ぬ」や「を」は子供にとって簡単な字ではありませんが、それでもそれ迄のステップを上がってきた子供達は何とか自分なりに納得できる字にしようと大人でさえ近づきがたい集中力を発揮しながら取り組みます。
 どんな活動にも言えることですが、大切なのは基本出来ることを集中状態の中で繰り返し、時折ちょっとだけ難しい課題に挑戦することです。もし集中状態になっていないのに活動を進めてしまうと活動自体が上滑った状態になってしまうのであまり効果はありません。
 集中状態の中、子供のやることなすこと全てを温かい目で見守り、時折見せる「輝き」を見逃さず褒める。望ましくない状態を注意してばかりでなく、望ましい行動をとった時に大いに褒める。周囲の大人が自分の頑張りを認めてくれることで子供は自己肯定感を抱くことが出来、自信を持てるのです。そして自ら新たな課題に挑戦していくことが出来るのです。私はこの観点は幼稚園のみならず、家庭教育にも通じるものだと考えています。? (了)