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みくにコラム6月号「幼稚園教諭の社会的地位を復権させよう!!」

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瀬戸内尾道に吹く風も初夏の訪れを予感させる感じになってきた。夏風吹く瀬戸内の光景はどこかもの哀しくも懐かしい。夏になると尾道を訪れる旅行者が増えるが、幼い頃に見た原風景を感じたく来尾される方は少なくなかろう。

風景もさることながら、食が美味いのもまた尾道。ラーメンが有名であるが、私はその中でも「味龍」のラーメンが特に好きである。居酒屋は「白らん」「高原誠吉食堂」、焼き鳥は「肉吾郎」、饅頭は「福福饅頭」、パンは「サンモルテ」がたまらなく好きである。まだまだ尾道には私の知らない絶品のお店があるに違いない。週末はそんなお店を探しに行きたいと思う。

さて、今回のコラムでは幼稚園教諭の社会地位の復権について述べたいと思う。多少冗長な点があるやもしれないがご容赦いただきたい。

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人との関わりや運動神経、音感、物事に対して集中して取り組む姿勢作りを伸ばせる臨界期が幼児期である。幼稚園の先生は、人間の人格の基礎が培われる大切な時期に関わっている。言ってみれば日本の未来の一部を担う素晴らしい職業である。
にもかかわらず、社会的地位が低いのはなぜか。新聞や雑誌、またコメンテーターの発言で「まるで幼稚園!」「幼稚園児並み」等という表現を見聞きする。ほとんどの場合、いい意味で使われていない。
きっと、そのように幼稚園を馬鹿にしたような発言をする人は幼児期の素晴らしい成長が後にどれほど大きな影響を及ぼすか知らない人達である。幼児期の重要性を心から分かってはいない人達である。しかし、もっと悲しいことには、子供達と直接関わる教諭がそれらの心ない発言や風潮を受け入れてしまい、(実践に裏打ちされた)プライドが持てていない点にある。「仕事は幼稚園の先生です」と胸を張って言える人が日本にどれくらいいるであろうか。全体からするとまだまだ少ないように思う。
 「人は見た目でない」とよく言われることだが、見た目も大事である。なぜなら見た目を良くすることは周囲に対する配慮(マナー)に基づく行為だからである。もし自分が大切なわが子を通わせる幼稚園の先生と登園時に会った時、A幼稚園の先生は遊び着に茶髪、B幼稚園の先生はスーツ姿で髪の毛は地毛の色で清楚、信頼がおけるのはどちらの先生であろうか。もちろん、服装や見た目にこだわらない保護者もおられるであろう。しかし、私達はプロである。最大公約数の子供・保護者に受け入れられ信頼されることを目指すのでなければ、幼稚園という小さくはあるが一つの組織に属する必要はない。個人で家庭保育園を作り、好きなようにやればいい。
どこの幼稚園でも理念や方針があり、それに基づいて日々の保育実践が為されていくのである。その理念・方針が納得できなければ、自ら身を退くこともいいだろう。少なくとも不満を抱きながら勤務するより精神衛生上良いであろうから。周囲のやる気のある先生の迷惑にもならずに済む。
私達は保護者が園を信頼し、子供を通わせてくださるから仕事が出来るのである。「自分が、自分が」といった利己的な人間は教育現場はもちろん、どこの企業に勤めても役に立たない。そもそも自分のことばかりで、役に立とうという発想がないのだから当然といえば当然である。「小さな存在の自分が社会のために未来のために何が出来るだろうか」と考え、与えられたチャンスに感謝しつつ社会に貢献することが自分の価値、存在意義を高めていくのである。
その初めの第一歩として、どんな子供・保護者をも不快にさせることのない身なり恰好をするというのは私達に出来る誠意の表現の一つである。もう一度言うが、自分のことしか見えない教諭は潔く辞めて、わがままを聞いてくれる寛容な場に転職した方が良かろう(もしそんな場があればだが)。
人のために役立ちたいという思いを行動原理とし、臨界期にある子供達の天分を目に見える形で伸ばせた時、初めて自身の中でもプライドを持つことが出来る。そしてそのような幼稚園教諭が増えていくことで世間の見方が変えられはしないだろうか。時間はかかるであろうが不可能ではない。
自分のことしか考えていない身なり恰好は自身の勤めている幼稚園を貶めているばかりでなく、日本中の幼稚園で真剣に子供達と日々向き合っている多くの教諭達をも貶めていることに気づいてもらいたいと思う。

御調みくに幼稚園

代表 玉崎 勝乗