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コラム3月号「怒りを遅くし、心を治める」

人が集まる所、思いがぶつかる…
それは幼稚園とて例外ではありません。
先日も数限りあるブロックの取り合いで、遊びたかったパーツを取れず泣いてしまった園児がいました。しばらく泣いていましたが、やがて気分を切り替え、また別の遊びをしていました。
そして次の日、その園児はブロックで遊べる時間になると一目散にそこへ駆けて行きました。自身の気持ちと折り合いをつけていく様子は、微笑ましく、また成長を感じるひとコマでした。
自分の気持ちに折り合いをつけ、他者に寛容になる人格は幼児期から形成されていきます。そこがきちんと育まれていないまま大人になると自分の思う通りにならないと怒りを爆発させる自己中心的な人物になるのだと思います。

 

「怒りをおそくする者は勇士に勝り、 自分の心を治める者は城を攻め取る者に勝る」(旧約聖書 箴言16章32)

 

ここで言う「勇士」と「城を攻め取る者」とは同義です。日本では、猿飛佐助・霧隠才蔵を筆頭とした真田十勇士等のような勇猛果敢な戦士が近いですね。「怒りを遅くし、心を治める者は、そうした人物にも勝る」のですから本当に強い人物と言えるでしょう。

 

しかし、実際《心を治める》ことは本当に難しい。

 

日本の諺で、
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」
というのがあります。
「心中にある邪な思いを自力で制することは非常に難しい」という意味で、これも箴言の言葉同様、自分の心を律していくことの難しさを表しています。

 

先日、ソチオリンピックから帰国したばかりの浅田真央選手へのインタビュー内容が印象的でした。
記者:「森元総理大臣が浅田選手は肝心な所で転ぶ…と仰っていますが、その発言についてどう思われていますか?」
浅田:「私も転ぼうと思ってやっているわけではありません。真意はよく分かりませんが、ご本人はそのような発言をされたことを悔いておられるのではないでしょうか?」
という内容でした。

 

常人なら「本当に失礼だと思いました。私は何様というわけではありませんが謝って欲しいです!!」と湧き起こる怒りを隠せないと思います。言い方はそこまで直接的でなくともそうした思いが出てしまうでしょう。
ところが浅田選手は怒りを顕わにするどころか穏やかな表情、口調でそのように答えたのです。最後には森元総理の立場を慮るような発言。一流な返しに感心しないではいられませんでした。メダルこそ逃しましたが、人としての洗練度は金メダル級だと思います。

 

怒りや恨みに心を囚われるのは、過分な名誉欲や尊大な思いを持っていることからくるものと感じています。ネガティブな心に支配されている人は、自己中心的に世界を見、他者から気に入らないことをされると、相手方の真意や事情を汲むこと無くその人を赦さず裁くということが多いようです。
例えば、ほんの行き違いから相手が期待する行動を取ってくれなかった場合、怒りや恨みに心を囚われている人は、自分が馬鹿にされたと感じ、激昂し、相手を「赦せない!!」と思ってしまいます。「ひょっとしたら何か事情があったのかもしれない」「何か悩み事でもあるのだろうか?」と相手の立場で慮ることなどしようともしません。その姿は、全ての世界は自分の為にある、そしてその中心は自分であると言わんばかりです。

 

浅田選手のように、心底腹が立つようなことを言われてもグッと怒りを抑え穏やかな対応が出来るようになりたいものです。
しかしそれは一朝一夕に出来るようになるものではありません。浅田選手をはじめ一流のアスリートは思うようにならない苛立ちや悔しさ、地獄のようなスランプ、才能に甘えず努力することの大切さ、自分を支えてくれる人への感謝、気持ちのバランスを高次元で保つ難しさを知っています。それらの多くを経験し、超えて来ています。経験が全てとは思いませんが、衝突した壁を乗り越える経験は非常に人を成長させるように思います。
そうした経験を数多くした人は、他者の努力が分かるので素直に讃えます。結果が出せていないからといって軽く見るようなこともしません。相手の立場や状況を寛容な心で観て、余程のことでない限り裁くような見方はしません。

 

スポーツ選手がスケート・野球・サッカー・バスケット等を通して、また芸術家が絵画・音楽・バレエ等を通して人間性を洗練するように、私達の園でもMS(ミュージックステップという音楽メソッド)を通じて、思うように出来ない苛立ちや悔しさ、毎日楽しく弾くことで感じて分かる喜び、友達と調和して一つの音楽を創ることの素晴らしさを経験します。
幼児期はまだ脳が発達している過渡期なので、繰り返しの小さな挫折・成功体験の中で「折り合いをつける心」「他者を認める心」「人を赦せる寛容な心」が無理なく付きます。また周囲の友達や大人から承認欲求も満たされていくので、自信を持って取り組むことが出来るのです。結果、心に火が点いた子供達は、大人がとやかく言わなくても自ら伸びようとします。

 

「怒りを遅くし、心を治める人物」になってほしい…私達はそのような願いを持ちつつ子供達と日々関わっています。