【6月 園長コラム】 【遊び】の中で
当園では毎月第3土曜日に園内研修、また春と夏に園外研修(国語教育・音楽教育)を行っています。目的は園の方針に従って、実効性のある保育を澱みなく実践していくためです。
いくら先生に情熱があっても、それをどう表現していいのかが分からないとスキルアップにはつながらないと思います。日々の保育でスキルアップしている実感がないと仕事は味気なく感じてしまいます。それはどんな仕事でも同じではないでしょうか。
幼稚園は「子供の持つ天分を伸ばし、小学校以降の学習や生活の質が高まるよう基礎を培う場」です。だからこそブレない視座をもって、「認知スキル・見える能力(IO、学力、記憶力等)」と「非認知スキル・見えない能力(思いやり、やり抜く力、意欲、協調性、自制心、勤勉性、自尊心、信頼等)」をバランスよく高めていく活動を進めていくことが大切なのです。
これらの能力が著しく高まる幼児期にファジー(曖昧)な「遊びの中で子供は育つ」という文脈で幼児教育は進められてきました。私も木登りや凧上げ、川遊びを幼少期は沢山行い、その中で感じたことや学んだことは大人になってからもかけがえのない思い出や経験として私の一部となっています。
しかし、「遊び」という定義が人によって違い、イメージで「何となくこれが遊び?!」位の認識でしか捉えられていないことも事実で、それではあまりに発想として貧困ではないかと思うのです。ジャングルジムや砂場遊び、公園での遊具遊び、室内での段ボール等を使っての家遊びが【遊び】の子供もいれば、同じ遊びをしていても少しも楽しめず、友達がやるから仕方なく付き合っているという程度の子供もいます。幼児期の大半を引っ込み思案な性格から後者のパターンになりがちな子供にとって、大人から見て「遊んでいる」ように見えるかもしれませんが、その遊びの中で天分を伸ばし人として育っているようには見えません。もちろん時間は過ぎていきますから、経験したことはそれなりにスキルと言えなくはないでしょう。しかしそれは人間を生物界の「動物」というカテゴリー(範疇)で括った場合のことであり、そんなことは仔猫でもやっています。
では引っ込み思案であろうとそうでなかろうと「遊びの中で育つ」にはどうすればいいでしょうか。それにはまず「遊び」という言葉の定義の見直しが必要に感じます。
【遊び】とは、「気分が高揚して夢中になること」と私は理解しています。ですから先述のジャングルジムや砂場遊び等も夢中で出来ている子供にとっては【遊び】ですし、難解な算数や数学の問題に挑み、複数の公式を組み合わせて時に「ひらめき」を駆使しながら細い穴をくぐり抜け、解答に辿り着く快感も(小中学校の)子供にとって、やはり【遊び】なのだと思います。そう考えると【遊び】は大人が考えるよりもっと多岐に渡り、人の数だけあるものと言えるでしょう。大人から見て「勉強?!」と思える活動も、子供にとって《気分が高揚して夢中になっていさえすれば》【遊び】なのです。
ステレオタイプ(思い込みや先入観)で「この子は上手に遊べる」「遊ぶのが苦手」と決め付けるのは全く意味のない、子供にとっては迷惑なことでしょう。静かに学習や音楽や将棋盤に潜って【遊ぶ】子供もいるのですから。
私達幼児教育関係者は、「子供の人格の基礎を創る」という玉虫色のスローガンをありがたがりながらも「小学校以降の育ちにどう影響していったか」「具体的にどういう天分を伸ばすことが出来たか」という追跡調査をすることもなく今日まできました。
企業では良い物が作れないと売れませんし、ニーズが無くても売れません。また某自動車企業のように過去企業体質改善のチャンスがあったにも関わらず変えられないままでいると存続出来ない等のペナルティを課されることになります。
しかし幼児教育は、追跡調査もなく、(生命に関わる事故でもなければ)責任を言及されることもありません。長年そうした状況に胡坐をかいていた結果が、教育の低迷だと思います。小1プロブレム対策として小学校がスタートアッププログラム等と言い〈幼稚園でするようなこと〉を行い、スムーズに小学校生活を始められるよう考えてくださっていますが、元々は幼児教育の怠慢だと思います。普通に「人の話が聞ける子供」に育んで進級させれば済むことです。
幼児期に「時間を忘れてフロー状態(没我の状態)で夢中になること」を通し、自信や粘りの心をつけた子供は人格的にも整ってきます。
人の話が聞けず、教室内で好き勝手振る舞う子供は、夢中になって【遊び】、そこで出会うはずの多くの成功体験や失敗体験、プチ挫折の経験が圧倒的に足りていないからだと思います。
私達幼児教育関係者は、個々の特性を鑑み、「夢中になれる状態を引き出す援助をすること」が肝要です。
「生活総てが【遊び】になりうる」と考え、矮小なカテゴリーによって【遊び】を捉えず、「今この子にとって、この活動は夢中になれるもの(=【遊び】感覚)で出来ているか」常にアンテナを立てて観察することが大切だと思います。
子供達の【遊び】の可能性を引き出すためには、プロ意識を持った先生の「情熱(パッション)とどんな子供にも対応しうる引き出し(=知識)の充実」が必要不可欠です。引き出しが充実してくるとスキルアップしている自信も持つことが出来、余裕が出てきます。実践を楽しみながら子供達の成長を喜ぶことが出来、また今一つ楽しめていない子供への(良い意味での)罪悪感と何とか楽しませてあげたいというエンターテイナー(芸を以て他者を楽しませる者)の心で接することが出来ます。
先生の楽しさが子供に伝わり、時に子供から返され、楽しさの相乗効果が生まれます。そうなると子供は、無条件に受容してくれる大好きな先生に応えるために夢中に活動を繰り返します。先生に応えたい思いから始まったそれは、やがて子供の内面へと深まりを見せ、「出来ることの楽しさやちょっとだけ難しいことに挑戦する楽しさ」を繰り返し体感的に味わっていきます。そして「認知スキル・見える能力(IO、学力、記憶力等)」と「非認知スキル・見えない能力(思いやり、やり抜く力、意欲、協調性、自制心、勤勉性、自尊心、信頼等)」をバランスよく高めていくのです。
保育者にとって【情熱(パッション)】は必要不可欠です。しかしそれだけで日々の実践を進めていくのは、なかなか辛いことです。人間ですから気分の上がり下がりもあります。そこで必要なのはやはり【知識・智恵】なのです。
研修で行うテーマは「具体的な実践法」はもちろん、「仕事に対してどういう姿勢が大切か」「一事が万事。掃除からどうやって気付きを得るか」など様々ですが、つまるところ「先生も子供も思う存分【遊び】をするためのもの」なのです。
【遊び】の中で「認知スキル」と「非認知スキル」をバランスよく高めた子供達は、小学校以降、質の高い学習や生活を送ることを確信しています。可能な限りで進級した子供達のその後を把握していきたいと考えています。
また、先生が楽しみながら子供達の天分を伸ばせる園でありたいと思っています。