【7月 園長コラム】徒然なるままに『幸福の三カ条』を思う
「幸福観」は人により様々ですが、多くの企業リーダーや教育現場に死してなお影響を与え続ける森信三先生の「幸福」の三カ条から「幸せって?」を考えてみたいと思います。
1)足るを知る
元々の出典は中国の古典『老子』と言われています。『老子』の33章と46章にその表現が見られますが、「欲を出さず、充足していると認識することが大切である」という意味です。
「謙虚に現状をありがたく思い、感謝する念」は、「満ち足りないことからの不平不満」と対極にあるものと考えられます。
例えば開店早々にもかかわらず、お客様が1日に7人…この状況で「いらしてくださった7人のお客様を今後も大切にする。まだ評判が立っているわけでもないのにありがたい。」と考え、次にご利用頂いた時にもっと喜んで頂けるよう創意工夫を怠らないのと「何だ7人しか来なかったな。こりゃ続けていてもダメだな。」と早々に諦めの気持ちを持つのとは大きく違います。
前者は前向き(ポジティブ)で、お客様の気持ちに思いが及んでいるのに対し、後者はお客様をただ数でしか捉えていません。経営者、従業員が客をただ数でしか見ていない場合、多くはお客様にも伝わってしまうでしょう。
AKB48も今でこそヒットチャートを独占、ライヴ会場は満席という状況ですが、2005年の初公演でマスコミを除いた客は7人だったそうです。その頃は、冬空の下メンバー自ら街頭でチラシを配り、劇場に見に来てもらえるよう勧誘していたそうです。「こんな情けない思いをするためにオーディションを受けAKBに入ったわけじゃない!!」と早々に見切りをつけていたら…きっと後の栄光を掴むことはなかったでしょう。
AKBの初期メンバーがファンや関係者から一目置かれているのは「足るを知りながら、ひたむきに新しいお客様にも来て頂きたい」と思い続けられたからではないでしょうか。金銭的な問題が絡む事項については、時には引く勇気というのも必要かとは思いますが、出来るうちは現在の縁に感謝しつつも誠心誠意行えることは全てやろうとすることが大事に思います。
2)絶対に自分を他と比べない
これをしてしまうといつまで経っても心が満たされないことになってしまいます。
自分と他者、また我が子と他の子供を比較して、「あの人よりは自分の方がマシだ」と考え、安心を得ようとしてもそれは一時的なものであり、狭い自分の世界だけの一時的安堵に過ぎません。それは幻影に縋るようなものであり、状況の好転は望めません。
また比べることにより「自分はあの人に遠く及ばないダメな人間だ」と思うことは自信の喪失にもつながります。
子供の場合にしても「~さんの○○ちゃんは良く出来るのにねぇ」「お兄ちゃんみたいになれないものかしら」といったようによそ様の子供や兄弟と比べてしまうと子供は荒んでしまいます。「自分は親に愛されていない」「自分は価値の無い人間」と感じてしまうのです。
そこで提案したい方法は、「過去の本人と比べ、褒め叱る」です。
「昨日より気がついて良くやったね」「上手くいかないのはどうしてだろう。この前成功した時のことをよく思い出してごらん」というように比較の対象はあくまで本人。子供も以前の自分が対象なので納得しやすいのです。
3)自分の現状に対して感謝する
人間の幸不幸が主観的である以上、心の持ちようで大分感じ方も変わるように思います。「仕事の段取りが大変だ」「忙しい!!」は「充分準備して臨むことで達成感を感じられる」「やることが沢山あるおかげで時間が経つのが早い」と置き換えることで随分感じ方も変わってきます。その思考を習慣化することで心も安定してきます。現状への不満は減少し、感謝の思いも湧いてきます。
こうして見ると、森信三先生の「幸福の三カ条」は「心の居住まいを正すための心得」に思えます。
子供にそれを求める前にまず私達大人が実践しなくては上手く伝わりません。「幸福の三カ条」を子供達が自然に出来るよう、周りの大人が体現することで示していくことが一番良い方法に思います。