トップページ » BLOG 2017年02月

園長コラム3月号『新幼稚園教育要領から見えること』

  10年に一度のペースで見直されてきている文部科学省の教育要領が平成30年4月に告示されます。
  中央教育審議会教育課程部会(中教審)によって作成されている教育要領ですが、幼児教育の項で、新たに「育成すべき資質・能力の3つの柱」として、

 

・「生きて働く知識や技能の修得」の基礎
  豊かな体験を通じて、感じたり、気付いたり、分かったり、出来るようになったりする 「知識・技能の基礎」

 

・「思考力・判断力・表現力等の育成」の基礎
  気付いたことや出来るようになったことを使い、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりする「思考力・判断力・表現力等の基礎」

 

・学びに向かう力、人間性等の涵養
  心情、意欲、態度が育つ中で、よりよい生活を営もうとする「学びに向かう力、人間性等」

 

が提言されるようです。

 

  新教育要領では、18歳を一つの区切りとして「18歳段階で身に付けておくべきことは何か」からの逆算で、「幼児教育に於いて育成すべき資質・能力」が明示されることになります。では今までとどういった点で違うのでしょうか。

 

  それは、平成20年に告示された幼稚園教育要領より更に一歩踏み込んで、学校教育改革全体の課題として幼児教育がとりあげられていることです。今までは「生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要な時期」とは捉えられていたものの、小学校以降の学校教育とは別枠で考えられてきた感があります。
  しかし新教育要領では、形式的でなく内容的なものに及んで18歳までの学校教育の中にカテゴライズされ(分類され)、「幼児期修了までにこれだけは伸ばしておいてほしい」という求めが文部科学省から提示されることになりました。
  それは小学校以降の学習の質向上のために幼児教育が無視出来ないものとしてより実感を伴った理解がされてきていることを表しているのではないでしょうか。

 

  では、現在の日本人の育ちは、学校教育改革全体の課題として幼児教育を採り上げなくてはならない程深刻なのでしょうか。現状を振り返ってみたいと思います。
  日本は戦後レジューム(体制)の中で、敗戦国でありながら、世界でも稀にみる経済発展を成し遂げてきました。しかしその中で失ったと言われるものも多く、名刹等を見て「古風な中に奥ゆかしさを感じる」といった伝統的価値観や玄関で女性が履き物を脱ぎやすいように空けておく、すれ違う際お互い傘を傾けるといった江戸しぐさなどに見られる行動様式美は既に忘れられてしまったように見えます。
  反面「日本人は他人の役に立とうとしている」と考えている人が45%を占め、「日本人は自分のことだけに気を配っている」とするネガティブな考えは42%であったことから、「利他の思いを持った人の方が多い国民である」ということが統計数理研究所による国民性調査(2013年実施)で見えました。
  この結果は、日本人の優しい国民性を表しており、慈愛に富んだ人が多いことを物語っています。
  実際行動として、2015年には99人の医療関係者が国境なき医師団として紛争地帯や貧困に喘ぐ地域の医療活動に従事したそうです。また東北の震災では平成23年3月から平成28年7月の間に、のべ150万人程のボランティアが岩手・宮城・福島で災害復興のため活動したそうです(全日本社会福祉協議会による調査)
  身近な例でも、駅の階段でお年寄りの荷物を持ってあげたり家族連れに場所を譲ったりする人は多いと思います。元々困っている人を見かけて放っておけない「惻隠の情」を持ち、機会があれば行動しようとする国民性なのです。先述の伝統的価値観や行動様式美も元を辿ればこうした国民性によるものに思えます。また「和を以て尊し」とする在り方も狭い国土で争いを極力避けて平和に過ごすための智恵なのかもしれません。
  そうした日本人の国民性は海外でも取り上げられ、震災後救護所が清潔に保たれている、争いなく列を作っている、階段で邪魔にならないよう端によって座り通路を空けている、略奪等がほとんど起こっていないことなどが驚きを以て報じられています。

 

  このように海外からもリスペクト(敬服)される国民性を持つ日本人が今改めて教育改革を考えなくてはならない背景を探ってみたいと思います。

 

  学校教育の目的、それは教育基本法第1章第1条に次のように明記されています。
『我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
  我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
  ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。』

 

  つまり教育とは「バランスのとれた人格を形成し、各々のスキルで社会貢献できる人材に育てること」なのです。
  社会貢献と言うと大げさに聞こえますが、私達は主に勤労によって何らかの社会貢献をしています。私達が日々使っている紙を作ってくれる人達がいる、灯油やガソリンも精製所で働く人がいるおかげで使える、電気や水道のライフラインもその仕事に従事する人たちのおかげで使うことが出来ています。日々の食卓の食材も多くの人の手によって私達の前にやってきます。一人一人が役割を果たしているから私達はさほどの不自由を感じることなく生活出来るのは言うまでもないでしょう。

 

  今まで国家が教育を語る時、多くの場合はマクロ(巨視的)であり、ミクロ(微視的)で語られることはほとんどありませんでした。つまり幼児期にある人間をどう育てていくかがテーマであって個人に言及することは避けられてきました。
  それが平成30年の教育要領改訂では「育成すべき資質・能力の3つの柱」が挙げられ、個人の領域(ミクロの領域)まで言及されています。

 

  この背景には次のような現実的予測があると中教審関係者の方が仰っていました。
・平成77年(50年後の推定人口8000万人、うち3200万人が65歳以上。幼児は60万人で現在より4割少ない)
・日本の貧困率15.7% OECDの平均以下
・今後10~20年程度で約47%の仕事がAI化され、それに伴い多くの人が仕事を失う。
・2030年までに週15時間労働になる。
・子供の65%は大学卒業後、現在存在しない職業に就く。

 

  つまりマクロで教育を考えていては「この先教育が、いや国家が立ち行かなくなる」という危機感があるのです。最近の脳科学でも判明している「ニューロン結合密度が乳幼児期にどんどん高まり6歳でピークを迎える」ということを踏まえ、「もう乳幼児期に無関心ではいられない」といった焦りにも似た思いが教育要領改訂からも滲み出ているように思えます。

 

  近未来の予測は決して明るいことばかりではありませんが、惻隠の情を以て他者のために貢献しようとする国民性を大切にしながら、未来に展望が持てるようにするために幼児期にもスポットが当てられ始めたことは嬉しいことです。平成30年以降、〈ちょっと会って何かする程度の連携〉でなく幼小双方の教育課程を踏まえた内容に関する連携が求められると考えています。
  近未来の読みに基づいた文科省主導の教育改革の中で、適時教育園の教育実践は一つの方向性を示唆するものになると考えています。